僕は、未だ空の青さを知らない

ネット空間の僻地で、生きている事の爪痕的な、僕の独善とした散文を綴る場所

富と幸せ。人の持つ概念。

 なんかさ、個人の能力の差で考えたら、持つものと持たざる者の差が偏りすぎているってのを感じるよね。
 現代社会の歪みの一つなんだろうけどさ。
 一個人の能力なんて、100倍も離れていなんだけど、現実はもっともっと差がある。


 んで、偏りがとてつもなく大きいと言う事は、逆に言うと、それだけ余剰があるってことなんだけどさ。

 頭数で全人類の累積の資産を分け与えたら、全員がゆったり楽しく暮らしながら、創造性を大きく発揮できる世の中ができるんじゃね?
と個人的には思う。

 

 細かい数値は分からないけど、普通に食っていくだけなら、100年以上前に人類は達成しているのかもしれない。
 少なくとも現代は余裕でやれると断言していいでしょ。

 

 でも、できない。それが悲しい人間の性。

 

 人間は成功者だろうが億万長者だろうが、本能と言う愚かさに使役されているので、
しようもない欲望や理想、思想に踊らさられるものだから、仕方ないと言えば仕方がないけれども。

 

 たださ。本能の本質は、生きる為に足りないから、愚かな行動を起こしてでも手に入れる。そういう可愛いものだと思うんだ。


 だけど、人間は違う。

 愚かさに歯止めがない。言い換えれば本能が壊されている。
 多分それは、理性と言う賢さが本能に干渉して、本能がバグってしまっているってことなんだろうと。


 そういった意味では、ひたすら富を求める世界一の資産家達とか、拡大主義の大国の皇帝達だとか、彼らと彼らを信奉する人たちなどは、ある意味壊れた可哀そうな人たちと定義できるんじゃないかな。

 

 幸福の概念がずっと分からずに、ただ、人よりもあれこれ欲しいと、どこまで手に入れたら幸せになるか把握できていない。
 もしくは、そんな感覚が壊れてしまっている。そんな感じ?

 

 AIが導入されて、この先、どんどん生産性向上が加速するんだけど。
 多分、余った富の多くは、その辺の偏りに加算されていく。それが良くも悪くも人の愚かさの偏りだからね。


 無尽蔵な生産性の見込める社会になるんだからさ、富とかお金とか労働や勤勉性とかの概念がぶっ壊れて、そういった類の呪縛から解き放たれそうな気もするけど。すぐには変わんなさそう。
 概念ってのは人間全体の思想から生まれるものだから、出来るから、さあ全部投げ捨てようとはならない訳で。


 まあ、こう達観して語っている僕も、同じ素質はあるんだろうけど。その場所に居ないおかげで、客観的に俯瞰して観察していられる。
 ある意味、ラッキーな人なのかも。


 結局さ。
 本能と理性、愚かさと賢さの両方を持つ僕たちは、行動や思考のバランスが、まだ上手くやれない発展途上の生き物って事なのかも。
 ただ能力バランスの偏りがエグイから、自滅しちゃいそうで、少し心配だなあと思ったりなんかして。

 きっと優れた宇宙人がこの星の僕たちを観察していたなら、あぶねえ奴らだと、思っていそうだ。


 こんな作文していたら、なんかウンコしたくなってきたわ……。本能おそるべし!
 ほいでわ。