アマプラにWinnyって映画が来てたのを見て、なんか書きたくなってしまった。
このWinnyてのは、ファイル共有ソフトと言って、不特定の人達が、お互いのファイルを共有しあえるソフトで、
その昔、CDやビデオで売られていた、音楽、映像コンテンツをダビング(複製)し合って、友人たちと共有しあう、古き良き時代の風習の超超拡大版みたいなものかな。
ざっぱに言えば、
インターネットと複製技術、共有文化が掛け合わされる事で、コンテンツの著作権所持者が過剰な脅威を覚えて、その強権をつかって色んな所を動かして、叩き潰したってのが、このWinny事件の流れになる。
これもルールが、世の中の本質である混沌に追いつかず、古い既得権益者が、己の金の為に、力技で新しい息吹きを踏みにじった現象の一つでさ。
当時、CDの売れ行きが低迷していた理由を、眼鏡のお偉いさんが、すべてファイル共有ソフトのせいにしているのをテレビで見て、
おい眼鏡、その口調のままで、
「僕プーさん、はちみつ大ちゅきハチの巣、丸飲みぃ♪」って三回言ってみやがれ!
と、憤ったものです。
その、不況やコンテンツの増加、CDメディアの衰退なんかを、全く考慮に入れずに、表面化している単純な事実と、仮想敵だけで組み立てるその論理。
その間に色んなピースや現象が伏せられたカードがあるのが当然なのに、更に言えば、影響を及ぼす大きな事象を表したカードが沢山見えているのに、それすら見えない。
よくある、事件を起こした人間がアニメ好きであるとして、
アニメを見ると犯罪者になるといった類の、ずんべらぶぁな発想とおんなじ。
まあ、そういう出る杭を叩く、バッカモーン今どきの若者はケシカラーン現象は、ぶっちゃけどうでもよくて。
僕は当時、このファイル共有化を、凄い現象だなと思ってたりしたんだよね。
みんな、複雑に考えるから本質が見えなくなるんだけど。
著作権とか近代特有のルールとかは置いといて、考えてほしいんだけどさ。
有益なコンテンツが簡単に複製できて、それを他者に譲れるって、凄い生産性なんだよね。
複製すれば無限に増やせて必要な人間に短時間で行き渡る。
色んなコストが消滅するわけで。まさに革命で。
この思想とソフトが行きわたれば、すべての人間が持っているデジタルデータを差し出し、全員の持っているそれが全員に行きわたる。全員豊かになる。
これは魔法なんだよね。
すんごい魔法。つまり、みんなすんごい魔法少女。
無論、貨幣経済の中で、既得権益者が、単純に手にするお金よりも、食えないその他データを選ぶのは無理だっただろうけど。
この凄い現象を、十分な議論もなく、ただ、自分達の利益の為に踏みつぶした事は、か弱い魔法少女たちを、問答無用と手籠めにする鬼畜行為だったと思う。
結局、海外の方が、この魔法を理解して、折衷的な新しい商売や仕組みを作っているよね。
ここからが本題だけど、
もし、これが物質にも適用出来たらどうなると思う?
自分が欲しいと思った服やアクセサリ、美味しい食事が、無限に増やせて共有できるとしたら。
僕が考えた超リアルなクマムシ寝袋とか、千倍スケールのメスの蚤ぬいぐるみとかが、人類全員にプレゼントできるんだよ!
ちくわの香りのする板付きかまぼことか! 粋なねぶたの特製抱き枕とかもぉお!
……ふう、失礼。
つまり、共有された中から、欲しい物質がすべて、複製されて手に入る。
そうなれば、従来的な貨幣なんか要らなくなるし、著作権とか所有権とかも、かなりどうでもよくなるわけで。
人類全員が、分かりやすく豊かになる。争いも激減する。
そして暇な時間は、よく学びよく思考しよく遊びよく寝て、よりいいモノを創造するために使える。
なにくだらない事言ってるのと思うかもしれないけど、限りなく無限に近づこうとする未来がそこまで来ているでしょ?
現状でも、電子データにかかわるモノの値段は下がってきている(日本以外)のは、無限の概念がそこに触れているからなんだよね。
つまり今は、行きつく先にある共有社会までの過渡期にある。僕はそう思ってたりしている。
遠い将来、
みんな魔法少女になる時代は、かならず来るのよ!