最近、知り合った人が居て、その人が、こう言ったんだよね。
わたしは、来る者は拒まず、去る者は追わずだと。
別に、そこまで聞いていないのに、そう言った。
それはきっと予防線で、そんな事をわざわざ表明してしまうなんて、
昔の僕みたいだと思った。
そこには、自分から失敗はしないぞとの、プライドがあり、
それは、傷つきたくない弱さと、恥をかきたくない、心の内があって、
つまりは、完璧主義者の闇。
根底をさらけ出さず、どう転んでも、自分が傷つかないようラインを設けて振る舞う。
言い換えれば、臆病な野良ネコちゃんの気質というか。
近づけば、とりあえずニャーと猫なで声で答えるけど、撫でられそうになると、フシャーと声を上げる感じ。
そして僕も、また同じ、臆病な野良ネコの気質、その闇を抱えている事に気が付いた。
今の僕は、わざわざ、お気持ち表明なんてしないけれど、結局、それは変わらない。
今は色々投げ捨てて変化はしたとは思うけれども、まだ、完全には捨てきれてなかった。
その人は、うつしみの鏡として僕の前で、それを僕に見せて、浮き彫りにしてくれたのだなと思う。
僕もまた、殆どの場合、去る者を追わないし自分からもいかない。
僕は欲しがるのが苦手だ。
誰かの為に、一歩下がるのは意識しないでもできるし、譲るのも躊躇なくできる。
そうやって僕は、人生そのものを、ずっと誰かに譲って生きている。
それをずっと、美徳だと誤魔化してきたけれど、
ただ、自分の弱さをさらけ出せず、下らないプライドを後生大事にして、殻に閉じこもるつまらない人間だ。
そう、僕は亀だ……。
ん?
いや、臆病な野良ネコだった。ここは、そういう流れだ。
話を戻そう。
そう、僕もまた臆病な野良ネコだ。
今の僕は、他者や社会の弱さを受け入れる事が出来るようになってはいる。
けれど、他者や社会が、今の僕の弱さを受け入れるかは、自分でどうしようもできない。
僕は、自分の弱さを見せて他者に疎まれるのが怖いのだ。
つまり、自分を受け入れてくれない他者や社会を、受け入れられない。
だから、自分のすべてをさらけ出せない。
僕が許容できるのに、相手が社会が僕を許容してくれない。そのアンバランスが受け入れられない。
まるで、サラブレッドの群れにまぎれた、シマウマだ。
そう。僕はシマウマ……否、憐れなゼブラだ……。
……うん。
野良ネコの流れの事は分かってはいる。
でも、臆病な野良ネコより、憐れなゼブラのがさ。
僕は、やっと気が付いた。アンバランスを受け入れられない。それが僕の本質的な弱さだ。そして、ゼブラのがなんか良い。
今の、僕の課題は、これから僕に理不尽を与えるかもしれない社会や他者を、許す事だ。
そして、それは同時に、他者や社会にNOを突き付けられるかもしれない憐れな自分を許す事。
自分が、群れの中のゼブラである事を許容する事だ。
僕は、過去にあった他者から受けた多くの理不尽を許せている。
つまり、今から受けるかもしれない仕打ちも、未来には水に流せていると言う事になる。
なら、最初から受けるだろう仕打ちすら流し、そんな適合できない自分を許すつもりでいればいい。
そうあれば、自分の弱さをさらけ出せるし、手に入るか分からないものを、自分から追いかける事が出来る。
受け入れられなくて傷ついても、未来の僕は笑ってすべてを許せるのだから。
この思考を、受け入れる事が出来たなら、
僕は、憐れなゼブラではなく、奇麗なゼブラになれるだろう。
近い将来、僕は、自分から追えるし来るものも拒まない、
果敢で美しい、光輝くゼブラちゃんになりたい!
僕は、ゼブラちゃん!!!
ゼブラちゃあああん!!!!!
……ごめんなさい。
ゼブラちゃんって響きを、いたく気に入ってしまいました。反省してますぇん。