僕は、未だ空の青さを知らない

ネット空間の僻地で、生きている事の爪痕的な、僕の独善とした散文を綴る場所

不思議なピーチパイとトイレの謎

 最近練習している事と言えば、カラオケかなぁ。
 最近と言うかずっとですけど。

 

 もうかれこれ四年くらい趣味にしてるんだけど、歌唱って奥が深い。
 最初は、音が出せる事に執着して、その内、カッコよさげな音にこだわって、あーぱーな発声で絶叫しながら一人気持ちよくなってたりしたなぁ。
 今思うと自分でも恥ずかしい。

 

 

 絶叫と言えば、

 たまに見かけるけど、カラオケ屋で周囲が引くほどの爆音で歌ってる人って、凄く下手な人か凄く上手い人なんだよね。なんでだろ。

 

 彼らは、世界に向けて、私はここにいるよって言いたいロマンチストなのかなって思う。うるさすぎて迷惑だけど。

 試しにさ、彼らの部屋の前で、立ち止まって見たら、声がさらに大きくなるんだよね。音が割れていて余計に聞き取れないけど。

 でも、それでも、伝えたいんだなって、情熱を感じる事が出来る。ハウリング攻撃で殺意を感じるから逆効果だけど。

 

 そういえば一回だけ、それやってたら、お兄さんが部屋から出てきて、聞き耳たてないでくれますかって、怒られちゃった。

 ハンチング帽とおしゃれ眼鏡をかけた、情感たっぷりに昴よ~をしばるよ~って歌うお兄さんに。


 僕はあれからあなたの事を、しばる兄さんと密かに呼んでいますが、最近見なくなりました。少し寂しいです。

 

 ああそうだ。うるさいと言えば、
 わざわざ扉開けて、うぼーって感じのサイレン音を鳴らし続けていた、幸薄げな色白の彼は、僕たちに何を伝えたかったのだろう。


 騒ぎになって、店員に引っ張られていった今は、もうその崇高な意思も分からないままだ…。

 ああ。また、くだらない感傷に浸ってしまった。

 


 それから僕も、徐々に歌い方が変わって、


 自己流で、口腔内とか喉とか舌とか動かして、色んな音を出すようになって、強かったり太かったりする声を身に着けたけど、
 喉口の形状を変えるってのは、ある種、力ませるって事で、僕には知識がなくて細かいことが分からないから、全部ゼロ百でやってしまって。

 

 全部力んで、凶暴なザリガニを白目剝きながら丸飲み苦行するおじさんの様な声で歌ったりさ。
 全部脱力して、今まさに昇天しそうなアシナガ蜘蛛のような声で歌ったりさ。

 

 それやると、声帯筋を含めて色んな筋肉を同時に動かすから、細部が良く分からなくなるし、今何処と何処の筋肉を使っているとか理解できなくなるんだよね。

 それが、今も癖として残ってる。

 

 例えば、こんな感じ。


 出だし鈴虫、サビは猫の縄張り争い、高音部ではマスオさんがびゃーってなる。

 

 癖が出来ると曲やそのパートによって、喉とか口腔の形が、自動セットで変わるんだよね。
 僕は、声のセットとして極端な音の癖を持っているから、違和感がひどくなる。


 最近は動画や、発声の構造を説明したサイト見て、答え合わせ的に、自分のやってる事を少しずつ論理的に理解できるようになってきたかなぁ。それでも、癖をしっかり抜くのが難しい。自動処理になってるからね。


 歌唱って奥が深いなあ。

 音を柔らかくさせたり、尖らせたり、軽くしたり重くしたり。
 口腔や喉の空間で音を循環させて、深い音色にしたり、響かせたり。
 時に、サイレン声で哲学を感じさせたり。


 結局今も、自己流のせいで、色々遠回りして、癖で苦しんだりしてる。
 でも、最初から正しい発声覚えていたら、手に入らなかった個性的な音の出し方ってのもあるから、損したとは思ってないかなぁ。
 僕の場合、音にフォーカスあてすぎてて、色んな基礎技術を捨てちゃってるっぽいけどね。

 

 きっとこれからもずっとカラオケをやっていると思う。
 ただの趣味と言うより、成長できる自分を確認するためにやっている。そんな感じ。


 言い換えれば、僕は生きていていいんだと自分を納得させる為にやっているんだなぁと思う。

 

 最後に。


 以前カラオケ屋に一人潜った時の事です。

 ドリンクバーで汲んだジュースを片手に僕とすれ違いざまにトイレに入った、ふくよかなおじさんがいました。
 気になった僕は、少し離れた場所で外から様子をうかがう事にしました。
 ですが、どうしたことか、十分経てど、二十分経てど、おじさんはトイレから出てこなかったのです。


 なんだか不思議なことがあるものだなぁと、感心した僕は、

 部屋に戻るとデンモクを使い、その時の気分に近かった、不思議なピーチパイと言うタイトルの曲を選んでみたのです。


 その曲は、うろ覚えすぎて僕には歌えきれませんでした。

 とても切なかったです。

 

今週のお題「練習していること」