僕は、未だ空の青さを知らない

ネット空間の僻地で、生きている事の爪痕的な、僕の独善とした散文を綴る場所

人生の範囲では、平等な幸運などはないのです。

  残念ですが、よく言われる、人の持つ運の総量は、人生を通して考えると皆同じだ、との考えは間違いです。

 

 たかだか100年程度で、この複雑な世界に生れ出た人間の幸不幸が平均化することはありません。


 その証拠に、若年で死んでしまう者や、更に言えば、生まれ出る前に死んでしまう者もいるわけです。彼らには、その後のダイスを振る機会すら与えられない。

 そして、生まれ出ることができても、環境、タイミング等、不幸続きで、削られ続ける人生を歩む人たちもいる。

 

 悲しいかな、それが事実です。
 生れ出た時から、人は運で差別されてしまうのが現実です。

 

 でも、だからと言って最初から、自分の運の偏りが悪いから一生どうにもならないと、考えるのも間違いです。

 

 偏りがあるなら、出来得る限り偏りをなくすしかない。
 もちろん、あなたの人生の時間では、平均化などできないかもしれませんが、そこに近づくことはできる。

 

 つまり、多くのアクションを起こす事、判定の頻度を上げた者が、不幸から脱却できる可能性が上がる。
 幸運不運を表すベルカーブの最下端で、死というカードを引かなければ、行動したものが、中央値(幸せの平均値)に近づけるのです。

 

 そして、最下端にあなたが居たとして、多分それを意識する必要はないでしょう。
 どうにもならない不運で、この世界から退場する事など、誰しもわからないのですから。

 

 ただし、カーブの上端にいる人が引く、幸運ガチャと比べると、SSRの比率が低いのは覚悟しておきましょう。嫉妬してもしようがないです。

 


 逆に、あなたが非常に稀な幸運を与えられていたなら、その有り余る偏り、判定を全部自分の為に使うのではなく、他者の為に使うほうが良い。つまり、謙虚であるほうが良い。

 

 その偏り自体が、あなたの優位性であるのですから。もしも偏りがなくなった時、孤独でみじめになるのか、多くの人に支えてもらえるのか、それを考えるべきなのです。

 

 ただ、成功は自分だけの能力と考えてしまうのが人間ですので、それも難しいでしょうが。