人間の生存本能に、悪い結果、流れを思わず考えてしまうと言うものがあります。
このネガティブな思考は、原始、災害の多いこの日本で生き残るには、とても重要な因子で、勝者の証といってよい資質だったわけです。
つまり、鈍感で能天気な性質を持つポジティブな人間は、原始、地震や台風洪水などの中、多くは生き残れなかった。
だからこそ、この日本では、あなたのようなネガティブ属性の人間が、人口の多くを占めているのです。
しかし、現代社会では、その才能が、不必要なストレスや、人間不信、社会不信、行動力の低下などを、引き起こし、あなたの人生においてマイナスになっているやもしれません。
文明の発達により命を脅かす現象が極小化した現代で、原始での優位性であったネガティブな性質は、確実に行き過ぎた性質となってしまったのです。
つまり、そんなあなたは、悪い未来をむやみに予見してしまうそのネガティブな能力を少し緩めれば、現代では丁度よく生きられる様になる。
あなたが少し不幸ならば、こういった思考をトレースすれば楽になり、人生が少しずつ改善されるはずです。
ただ、この思考は、本当に重い不幸に見舞われた方には、何の慰めにもならないかもしれない。
もし、あなたが、本当に重い不幸を背負ってしまっているならば、広い視野で物事をみなければ、その理不尽な不幸の意味を理解することはできないでしょう。
それは、個人の感覚より上位にある、この世界の本質、自然の摂理である多様性、適者生存の考え方です。
これを意識できるなら、あなたの不幸な処遇を、ある程度は飲み込むことができるかもしれない。
もしあなたが、不運で日陰に追いやられているのだとしたら、スペアとして存在価値があると考えるのです。
表舞台に立つ幸運な人々が、大きな出来事で全員倒れても、社会が大丈夫なように、あなたが統計的不運を請け負い、何らかの能力を伸ばしつつ日陰に隠れているのだと。
そして、もしあなたが、このまま現在の社会に上手に適合できず滅んだとしても、その犠牲は、優勢種を残す為には仕方なかった。違う社会構造になっていたなら、あなたが優勢種であったかもしれないと考えるのです。
天変地異や大事変によって、社会の常識や生き方、つまり優位性は、いとも簡単にガラリとひっくり返ります。
例えば、明治維新での日本などでは、通常では日の目を見なかっただろう平民や下級武士などが活躍する事になりました。
最近ならば、ウクライナ大統領のゼレンスキー氏などは、平時では無能扱いされ支持率も低迷していましたが、有事となった後、強いリーダシップで人々をまとめる優れた能力を発揮しています。
広い視野で物事を見ると、あなたという存在は、生命の多様性の為には、この社会や地球に必要な人間であり、命を全うする必要がある人間だと分かるでしょう。
役立たずと罵られようと、つま弾きにされようとも、あなたが、ただ生き抜くことが、この世界に対して誠実だといえるのです。
あなたは、決して不必要な存在ではありません。