僕は、未だ空の青さを知らない

ネット空間の僻地で、生きている事の爪痕的な、僕の独善とした散文を綴る場所

木野山神社の狼と牛と猫と

 僕は時々、人が居なくて癒されて、静かに思索したり本を読める穴場を、探してたりする。

 グーグルマップを見てると、僕の家のそばの山側を登った先に、ひっそりとした神社があったんで、覗いてみる事にした。


 木野山神社と言って、狼を祀る珍しい神社。

 


 場所が場所なのでほとんど人が居ないけれど、その割にしっかり整えられていて、とてもいい雰囲気の場所。

 

 

 よくわからない牛。かわええ。
 供物なのかな?

 


 全体的に、小ぢんまりしているのが、またいい感じ。

 

 

 狼を祭っている神社との事で、結構特別感もあるし、ゆっくり参拝するには、とてもいい場所だと思う。

 

 ただ、たたずむ場所が限られていて、必ず参拝客と鉢合わせするので、静かに思索するには向かないかな。

 

 


 僕は、結構、一人の時間が必要な人で、引きこもりがちなんだけど、

 こういった風情のある風景や自然の多い場所や、涼しい水場とかはかなり好き。更に静かだと、とても幸せ。


 最近は、苦しい境遇も穏やかに受け入れられて、こうやって自分らしく行動できるようになって、健やかな睡眠が取れるようになってきた。

 

 でも、本当に自分らしく生きるって難しい。

 

 

 少し前に、行動しようと思ってLINEの読書サークルに入って、
 そこで、僕は自分らしく居ようと、子供の頃のテンションで、ユーモラスに振る舞い、色んな壁をぶち破ってみた。
 そして、幾人かと仲良くなったけれど、サークルの中心人物に少し疎まれるような結果になった。


 このサークルは、結局、「その中心人物とゆかいな仲間たち」であって、僕は少しやりすぎて、その世界のルールをぶっ壊してしまった。

 

 それに気が付いた僕は、色々封印して、今はモブとして立ち回るようになっている。

 

 僕は、自分が目立って他者に嫌な思いをさせたくない。

 

 でも、結局その考えは、僕の人生を他者に譲ってしまう自虐癖が変わってないって事で、

 そのままでは僕は、迷宮に閉じ込められた孤独なミノタウロスで、怪物だからと、迷宮に閉じ込められていても仕方ないと諦めているだけだ。


 結局、他者や社会に拒否される事を許容するだけでは、受け身にすぎず、

 ただ、怪物扱いされる事を許容する、迷宮に繋がれたミノタウロスにすぎない訳で、

 それは、自分らしさを許していない事になる。


 他者や社会に、自分が衝撃を与える事も受け入れないと、自由に自分らしく生きる事など出来ない。

 

 僕は、他者を傷つけたり困らせたりする事がすごく苦手だけど、時に、そうなってしまう事を認めないと、そこに届かない。

 

 今さっき、ウチの猫さんが、テーブルに飛び上がって飲みかけのお茶をぶっ倒し、更にキーボードの上に座り込み、喉を鳴らしながら僕の作業を妨害した。


 僕は、そんな自由に愛を振りまく猫さんが、可愛くて仕方ない。うざいけど可愛い。

 

 きゃわわ、ウザカワーなのだ。

 

 本来ならきっと、こんな風に単純な事なのだろう。

 

 僕は、迷宮から飛び出し、素のまま自分らしく、ンモウモウと鳴き散らして、恐れられても疎まれても、すべてを許して前へ進み、

 そして、何時か、神社のあの牛のような愛嬌をもって、怪物を許容してくれる、愛してくれる人たちを見つける。

 

 多分それが、結果的に、本当の幸福を得る生き方なのだと、思うンダモー(うし