唐突ですが、考えてみてほしい。
最近豪邸を建てたと話題のイケメンタレントAさんと、三十過ぎてリストラに合い、引きこもっているブサメンデブのBさん。
どちらが優秀ですかと問われたら、あなたは、どう答えますか?
そうでしょう。間違いなくAさんと答えますよね。
でも本当は、Bさんも、Aさんと同じくらい優秀な人間だと言えば、あなたは、どう思いますか。
上の様な話を、もう少しロジカル視点に置き換えましょう。
少し内容を整理して、
AさんBさん共に、2回の内、1回は、平時であれば物事を成功まで引き上げる事が出来るレベルの優秀な才能を持っていたとします。
そして、結果として、幸運にも5回続けて成功を引き当てたAさんと、不運にも5回続けて失敗してしまったBさんが生まれてしまった。
そう、これは統計学の話になるのです。
彼らが成功率50%で、成功を連続五回続ける可能性は、
0.5^5=0.03125
およそ3%となります。連続五回失敗の可能性も同様になります。
要するに、AさんやBさんと同じ能力の人間が100人いたら、幸運な3人は勝率10割の天才と世間でもてはやされ、不運な3人は、どうしようもない無能と蔑まれてしまうことになる。
俗なたとえで恐縮ですが、パチンコの連荘数のグラフを見れば釣り鐘型になっているように、規模は違えど、大よそ人間社会でも幸運、不運で、似たような構成になり得る。
統計的に考えれば、同等の有能な人間であっても、グラフの極左と極右に存在する場合、一方は不運なホームレス一方が幸運なエリートとなっていてもおかしくはないと言う事なのです。
一時的に旋風を巻きおこして、消えていく時代の寵児的な人物に覚えはないですか?
不運の連続で這いつくばる人は、社会の表面に現れる事はありません。
しかし、幸運の連続で頂点に上った後、平均回帰を起こして結局失墜する特異な人を、あなたは観察する事が出来ているはずです。
残酷ですが、運の差は、生れ出た環境からして、すでに始まっています。
つまり、成功できてなくても、社会に弾かれ現在心を病んでいても、己を過剰に卑下することはない。
あなたには、運が足りないだけで、その成功者よりも、あなたの素質が勝っている事も普通にあり得る話なのです。
大切なのは、不運の連鎖が元で、自分の道を自ら閉ざしてしまわない事。
幸運な人間が、成功の連鎖で高飛車になりブレーキを踏まなくなるように、不運な人間は、不運の連鎖で自信を失いアクセルを踏まなくなる。
だから、あなたも腐らず、淡々と自分の道を踏みしめていこう。同時に、あなたより不運で身を滅ぼした人たちがいる事を謙虚に受け止めながら。