ある時、あなたの考える優れた改善案や推論が、友人に煙たがれ拒絶される。その後、なぜか、他者が提案した似たような改善案や推論が、その友人に容易に受け入れられてしまった。
これに類するような、理不尽な出来事を経験したことがありませんか?
そんなあなたを、私は、慰めてあげたいと思います。ですが、この理不尽を紐解くために、相手側の立場で考えてほしい。
感じの悪い同僚に、反対意見を言われたら、あなたはどう感じますか?
お前如きに、そんな小賢しい事を言われたくないと、不快に思いませんか?
ならば、友人に紹介された会社社長に、反対意見を言われたら、あなたはどう感じますか?
なるほど、そんな考え方もあるのかと、感心したりしませんか?
人間は、感覚で生きている。
その感じの悪い同僚が、実は、すごい発想力を持っている事も、その会社社長が、見た目や雰囲気だけの無能な二代目社長である事も、先入観や好き嫌いが邪魔をして、すぐには見えないし認められない。
感じの悪い優秀な若造よりも、体裁を整える事に特化した無能な権威持ちの方に、説得力あると考えてしまうでしょう。
そしてあなたは、一度間違った評価をしたなら、その評価の後付けとして物事を捉えます。
例えば、その感じの悪い同僚が、デスクでお茶をこぼし、スマートフォンを壊したとする。その同僚の事を好ましく思わないあなたは、やっぱり愚かな男だったと、簡単にレッテルを張って、侮る事になるでしょう。
更に、その後、その同僚が大きな成果をあげたなら、愚かな男が、ただ運良く成功しただけだと、中身も見ずに片付けるのです。
あなたを含め、わたしたち殆どの人間が、自分で思っている程には、他者を上手に評価出来ない。つまり、あなたも正しく評価されないのです。
分かりやすい例として、プロ野球のドラフトがある。
当時のドラフト候補と、その後のスター選手を比較してみればわかりますが、結果は散々です。自分で検索して確認してみると分かるでしょう。
ドラフトは億単位のお金を動かすわけで、決して適当に選んでいる訳ではない。その世界の中枢のプロたちが、不本意にも多くの間違いを犯している。
であれば、当然、有名大学卒業であっても……。と考えるべきでしょう。
逆を言えば、この世の中は、実際の所、本質的な有能さで人を評価していないともいえる。
結局、他者の評価をする時、殆どの人が、経歴や見た目、好き嫌い、魅力的であるか等に大きく影響を受ける。そして、それが評価に直結しやすい。とどのつまりは、表面(ガワ)、名札など、非本質的な感覚や感傷が、評価の重要要素となっているのです。
その影響力のある非本質的な感覚の中で、唯一誰しもが得られるだろう物が、好き嫌い、つまり――友好関係となるのです。
あなたは、相手の発言を先回りして会話の主導権を奪ったり、求められてもないのに間違いを指摘したり、落ちの無い会話や下手な説明に辟易して、表情に出したりしていませんか?
こんな行為は、あなたに悪気はなくとも、能力のひけらかし、マウント行為ととられ、高飛車で感じの悪い奴と嫌われてしまうのです。
あなたに権威や金、カリスマや美貌など、優秀な名札がないなら、その有能さを、無暗にひけらかすのを、やめた方が良い。
「若造のくせに小賢しい」とか、「大した実績もない癖に偉そうに」だとか言われて、煙たがられ嫌われる。ただ、周囲との友好関係を壊すだけです。
そして、嫌われたら最後、くすんだ色眼鏡でしか、あなたの事を見なくなり、あなたは正当な評価を受ける事が叶わなくなります。
はっきり言います。あなたの有能さは、それ単体では害悪にしかならない。
あなたが本当に有能なら、有能さを際立たせる必要はない。あなたは、ただ、他者に好かれるだけで良い。
そうすれば、相手からあなたを受け入れるようになり、正しく、あなたの能力は評価されるでしょう。
まず、他者を理解したり、他者に優しくする共感性の方が、特にこの日本の社会で生きていくには、本当に必要なスキルになるのです。