大発見って程かは分からないけど、最近、色々考えて納得した事がある。
幸福、不幸ってなんだろう。どうあれば幸福で、どうあれば不幸なんだろうって。
人間って生き物は、視野が広がるほど欲の範囲も広がるんだよね。
欲の範囲が広がるって事は、手に入らないものが増えていくって事で、そうなれば、間違いなく不幸の種がどんどん増えていく。
逆に、幸福感を得るためには、無限に欲を満たし続けなければならない。
つまり、手に入れても手に入れても足らないって事になる。
例えば、
要らないはずなのに、ジャパネットたかたを見たせいで、お得な高枝切ばさみ基本セットが欲しくなって、更にお得な、7色7本の高枝切ばさみレインボーセットが今ならドンで半額なら、そら全色欲しくなるよね?
またまた更に、今ならなんとオマケで、にゃーと鳴くシブめの侍人形がついてきますで、飼い猫のタマも、いやむしろ僕がメロメロだし、なおかつ、金利手数料は当社が負担しますで、波平もフネも思わずリンボーダンスを踊って喜ぶってものよ!
え? サザエ?
サザエは、お魚咥えてどら猫を追っかけているんじゃなかったっけ……。
うん……。いや僕はカツオじゃないよ。そんな感じでさ、
今は、ネットや多くのメディアで、望まなくても強制的に視野を広げられる。
これが一番の問題なんだけど。
本来なら、知りもしない高枝切ばさみなんか欲しがらないし、レインボー高枝以下略が手に入らなくても不幸にもならないはずなんだよ。
高枝以下略愛好家の方ごめんなさい。
つまりさ、今は普通に生きていたら、オートマティックに心を痛めてしまう残念な時代なんだって事。
原始の世界なら、ゆったりと自分で経験し噛みしめながら視野を広げ、一つの欲と共に、じっくりと精神性や人間性を高めて行ったはずで、
一つ一つ新たな視野を得る事で、精神性や人間性の成長は比例していたのだろうと推測できる。
こんな感じで。
ウホウホと、獅子皮のパンツを手に入れた原人波平が、お下がりの鹿皮のパンツをフネに渡し、フネはまたお下がりの木皮の乳当てをタマに渡し、タマは…。ん?タマ?
……タマは、魚の骨とか僕にくれる……のか? うーん。
え? サザエ?
僕はカツオじゃないし、姉さんはお魚咥え以下略。
えーと、なんというか、つまり原始の人間は、ナチュラルに足る事を知っていたはずなんだよね。
富の偏りが顕著な現代。
その歪さに見られる無限の欲は、精神性の偏った未熟さに起因しているんじゃないかなと個人的には思う。
繊細で優れた知識人たちが、絶望して、己の手で退場するのは、つまりは、その歪んだ愚かさが見えすぎてしまうからかもしれない。
見えないのも良くないが、見えすぎるのも良くないのである。
ああ…でも、ワカメのパンチラは誰得なので、見えない方がいいんじゃあるまいか?
まあ結局、
無限の欲と、無限の欲の虜となった世界の、歪んだ愚かさから己一人であがなうには、正しく愚かである事なのだろうと思う。
そして正しく愚かであるとは、動物的な原始の感覚に立ち戻るとも言えるのかもしれない。
ご飯食べて満足。
ぐっすり眠れて気持ちいい。
美しい自然を見て、感動する。
好きな事に、のめりこんで心地よく疲れる。
妄想して一人で吹き出す。
ワカメのパンチラは不快だ。
単純な事に目を向け、自分でどうにもならない事は、知らんがなと天へと放り投げる。
人間的な感覚に合わせる為に、その歪みを理解した上で、正しく視野を狭め、あえて愚かになる事で、無駄な不幸を背負わずに生きる事が出来るんじゃないかな。
でも、そう生きれば、時に、社会と乖離してしまうかもしれない。
そんな時は、それはこの社会が先進的なようで、その本質が歪んだ愚かさで覆われているからと、開き直って生きていけばいいのだと思う。
それも根拠のない自信で構わない。
歪んだ愚かさに対抗できるのは、要するに、まっすぐな愚かさなのだ。
そう思う今日この頃。
うむ。読み返すと、色々ひどい内容だ。そしてブログのせいで、今日も寝不足が確定した。
今週のお題「大発見」