僕は、未だ空の青さを知らない

ネット空間の僻地で、生きている事の爪痕的な、僕の独善とした散文を綴る場所

宿命の輝きと、クソ文のさだめじゃ

 「宿命」という言葉がある。

 一般的には、

 「生まれる前の世から定まっている人間の運命。」

 とされているけれど、個人的には、大きな不幸や不運、現象や、誰かの死があって、その代わりに今を生きる人々に、輝く命を宿す現象だと、勝手に思っていたりする。

 

 

 たとえば、酒やギャンブルに溺れて、挙句の果てに最後は水たまりで溺れ死んだ、禿散らかした牛田さんと言う友人が、あなたに居たとする。

 

 そんなやつ居らんやろと言いたいのは分かるが、とりあえず聞いてほしい。

 そりゃ僕が作った、理想のオモロおじさんなので、僕もいないと思う。居たら、そのおじさんに一杯おごりますっていうか、故人だから、おごれないけど話を戻す!

 

 そして彼が、死後、あなたの枕元に現れる。そして、あなたにこう言ったとしよう。

 

 もう俺は、後悔してない。好きなことやってもう、楽しく生きて、楽しく退場してやったぞ。もうっ、お前は人の目を気にして、小さく生きていてモ~ウ、楽しいのかンモ~ウッ?

 

 こじんまりと窮屈に生きていた貴方は、その牛田モウモウさんの豪快な生き様と死にざまを見せられて、生き方を変えようと誓うのだ……。

 

 どうだろうか?

 ふむ。少し例えが悪かったかもしれない事は、陳謝したいと思う。

 

 じゃあ例えを変えて、あなたの友人に、八木山さんという――。

 え? どうせメエメエさんだろって?

 寒いって? 

 

 ――うんむ。確かに寒いな。

 

 なるほど。こ~りゃ、暖房が弱いんだなぁ。

 全部、この部屋のエアコンが悪いな。この中国製の安物のエアコンが悪い。

 僕の文章が滑って寒かったとしても、その責任は、この中国製のエアコンにあるのだ。よし、これでいこう。

 

 ふむ。おふざけは、ここら辺にして。

 

 つまり、人は長く生きていると、先に命を散らした大切な人々から、何かを受け取る。そして、彼らに恥じない生き方をしたいと、心を輝かす。

 

 そういった不幸があった貴方は、傷つき、深い悲しみに暮れるだろう。

 でも、同時に幸運でもあると僕は思うんだ。

 先に逝った彼らから、大切なものを預かっている貴方は、きっと今、強く生きられている筈だから。

 

 ちなみに、僕はまだない。

 そこまで深い関係を、さほど作れずに生きてきたから。

 だから、「宿命」を受けた人たちが、少し羨ましくも思う……。

 

 

 ダメだ、湿っぽくなった。こんな終わり方は嫌だ。

 

 

 最後に、これを書いている僕が、幸薄そうな美少女ボクっ子JKだと想像してほしい。 

 うん? いや、目を瞑って、ちゃんと本気でしっかり想像してほしい。

 キモイとか、目を瞑ったら読めないとかは、この際どうでもいいだろ!

 

 そして、回転式のチェアに座った僕、いや、彼女は、くるりと振り返って、可愛い声で一生懸命に貴方にこう言うんだ。

 

 

 「ボクが、ボクがガンダムだ! 夜のガンダムだ!」

 

 

 むふ。なんか興奮してきた。僕はボクっ子JK!

 イエス! ボクっ子JK!

 イヤッホーイ!!

 

 

 ふう、満足した。

 

 ――いや、ほんと、ありがと。

 こんなクソ文を、最後まで読んでくれたあなたは、殊勝な人です。愛しています。