まずは、この画像を見てほしい。
これはある店舗のトイレに、貼られていたものだ。
この標語のような張り紙。なぜ体言止めなのか、体言止めでなければならなかったのか。内容よりも体言止めである事が、非常に引っかかる。
もしかすると、それに意味はなく、感情的に書きなぐっただけなのかもしれない。
こんな感じで。
店主は、大の野球ファンで、大谷さんが打たれた失投を見て嘆いた。そして、たまたまトイレにあった紙に、猛る激情を書きなぐった―。
ふむ。何だか悲しいよね。
それから数日後、
なんと、スピードよりコントロールが、手洗い場に、新たに貼られていた。
……増えているではないか。
もしや、またしても大谷さんが打たれたのか?
そんなことを考えながら用をすまし、何時もの残尿感を放置してパンツがじんわりした時に、ハッと気が付いた。
もしや、この標語的な何かは、スタンディングショットについて、暗に警鐘を鳴らしているのか。
なるほど、失敬な。この私に、コントロールが無いおっしゃるのか?
あり得ない。
確かに、じんわりさせてはいる。
……じんわりさせてはいるが、ことコントロールにおいては完璧のはずだ。コントロールどころか威力もスピードも兼ね揃えているはず。
小兵ではあるが、オールラウンダーで、経験豊富なシューターとしては、甚だ遺憾な話である。
「失礼な話だなぁ。まったくぅ。」
私は、数年前失踪したペット、クサガメの花子が、実家の便器の裏で干からびて見つかった時のような、微妙な気持になりながら、トイレを後にした。